士金。HF派生共闘で最後の夜。









【1】

物理的な力で、留められた。
彼の長い脚が、自分の腰をしっかりと固定してしまっている。
――何故にここでプロレス技。
真意を図りかね、問い掛けるように目の前の青年に視線を向ける。
その途端、何気なく行動してしまった己の軽率さを後悔することとなった。

うわ殺される、と直感が告げる。
つい先刻までの情交の名残か、肌を朱く染め息を荒くつきながらも、彼の眼はなお強くこちらを睨んでいた。
類稀なる王気の持ち主である人類最古の英雄王の眼に湛えられた、殺気とも呼べそうな怒気に気圧される。
その迫力の前に頭が固まり、何を言えばいいか、どうしていいかもわからなくなる。
…そもそも何でこんなことになったんだっけか。
逃避行動なのか、混乱した頭が勝手に事の端緒を思い出し始めた。

ここのところ自分の周りで起こっていた非日常の世界。
その最後となるであろう、柳洞寺での決戦を翌日に控えた夜。
晩飯が終わり、後片付けをしようと皿をまとめていた時だった。
食後の茶を向かいで啜っていた彼が音を立てて湯呑を置き、こちらを見ながら口を開いた。
明日、セイバーの件でけりがつき次第契約を切れ、と。
虚をつかれて見遣ると、理解の悪い自分に苛立ちを見せつつも彼は言を重ねてきた。

――そもそも騎士王に累があればこそ貴様をマスターとしてやっていたのだろうが。
   その原因さえ解決すれば貴様の如き雑種風情と関わる意味もない。
   何、契約が切れたからといって殺しはせん。確約してやるゆえ安心するがよい。

脳に捩じ込まれた素気無い言葉に、ぐるぐるとここ数日の記憶が掻き回される。
確かに最初はその筈だった。セイバーを、黒に呑まれた彼女を救うため、彼と契約を結んだ。
だが、それだけに留まらなかったのも事実ではないのか。
共闘する中で、背中を預けた。
魔力供給のためとはいえ、躯を重ねた。
順番こそ通常と逆だろうが、互いの感情だって確認した。
己に蓄積された何かをぶち壊しにするような彼の言葉に、寂寞とした感覚が躯を過ぎる。

だが、受け入れないわけにもいかない。
いくらマスターとサーヴァントであるといっても規定外の契約関係だったわけだし、
既に受肉を済ませ供給なくして生存が可能である彼の意向を尊重するのは当然のこと。
それに何より、
自分ひとり救われた過去を持つ自分が、
ひとを救えなかった過去を持つ自分が。
これからもおまえに居て欲しいなどと言えるわけもない。
これ以上、己自身のエゴで生きて良いわけもない。
だから、わかった、と。一言口にした。

ほう。聞き分けが良いな、と。彼も一言だけを返してくる。
自分を見遣る彼の表情が、つまらないものを見るかのような貌に見えた。
契約を切るということが実際どういうことなのかもよく解らないのだけれど、
その言と貌からするに、これはもう少し駄々を捏ねても良いような状況なのだろうか。
――それならば。
ひとつだけ頼みがある、と言ってみた。
眉を上げ、英雄王は促すかのような表情でこちらを見返してくる。

――剣を好む貴様のことだ、我の蒐集品でも欲しいと言うのであろう。
   通常ならば斬って棄てるところだが、事が事だ、例外に赦してやらんでもない。どれが欲しい。

殺さない筈じゃなかったのかよ、と心中で突っ込みを入れつつかぶりを振る。
彼の貌に浮かぶ興味深げな色が更に濃くなった。

以前から燻っていた感情に、片をつけたかった。
いくら好きだと言ってみたところで、違った目的の下では何だか伝わっていないような気がして。
魔力供給というある意味では合理的な目的ではなく、本来の非合理的な目的で彼を覚えておきたくて。
だから、
魔力供給とかそういうのを抜きで抱かせて欲しい、と口にした。

自分の嘘偽りない気持ちの発露ではあったけれど、
言った後で彼の貌を改めて見た途端、何やら凄まじい後悔が襲ってくる。
いや、彼自身に問題があるわけではなく――自分が、何だか、凄く気恥ずかしい。
それを誤魔化すように、まぁ、おまえが良ければの話だけど、と慌てて言葉を追加する。
そんなもので誤魔化しきれる筈もなく、次第に羞恥が頭の中を占めていく。
脳の7割が染まったあたりで耐えきれなくなり、彼から視線を外した。
なかったことにならないだろうかと、時間を巻き戻すことはできないだろうかと、切に思う。
だって。こんな頼み方、思春期野郎がただがっついたみたいじゃないか。
顔が熱い。たぶん今の自分は耳まで赤い。

羞恥と後悔で消えてしまいたい衝動にかられる。
一度外した視線を戻すこともできず、先刻手前に置かれた湯呑を意味もなく凝視する。
沈黙が落ちる空間の中で自分の頭の中ばかり忙しなく動かしていると、
く、と笑いの込もった音を伴って彼の喉が鳴るのが耳に響いた。
と同時に、自分の顔に影が落ちてくる。

赦す、と囁くように言われた。
その響きに硬直していると、英雄王が自分の顔に目線を合わせてくる。
紅色の虹彩が面白そうに笑む。
唇の両端が愉快そうに上がる。
至近距離で視界に入るその蟲惑的な表情に、視線を縛られる。
彼の唇が耳元に寄せられるのを、ただ呆として見詰めていた。

耳朶が食まれる。
突然与えられる温く濡れた感覚に、ふ、と思わず声が漏れた。
舌が這入ってくる。
水音をたててなぞられ、知らず乱れる吸気を伴って仰け反った。
雑種の割に目端が利く、と喉を低く鳴らしながら英雄王が言葉を紡ぐ。
直接鼓膜を震わされ、脳髄で達するような感覚に背筋がぞくりと粟立った。
我の所有する中でも最上の品ゆえ丁重に扱うのだぞ、と愉しげな王者の声に命じられる。
そんなくらりとする声音を流し込まれて。参った、と心中で白旗を揚げた。

最後なのにこのまま茶の間で、というのはいくら何でも粗末にすぎるということで、
衝動を抑えるのに苦労しつつ風呂に入り、心臓を今更ながらにばくばくさせつつ寝具の用意をして。
魔力供給という大義名分を取り払われた状態で、
触れることを赦された彼を、初めてするみたいに、抱いた。
英雄王と共に果てる感覚を躯に大事に慎重に受容させ、
もう触れることも叶わないであろう彼から、寂寥感を抱きつつ荒い息のまま離れようとする。
怒気を孕んだ瞳に殺されそうになったのは、その矢先のことだった。

そうだ。そもそも睨まれる筋合いなどない。
だってこいつだって、割と乗り気だった筈じゃないか。
堅く口を引き結び、こちらを睨んでくる彼を前に、何だか釈然としない気持ちになる。
しかし、彼が凄く怒っている様子なのは揺るがしようもない確かな事実で。
もしかして、満足させられなかったとか。と、実に切ない可能性が頭を過ぎる。
しかしそれならば、己が果てるのと同時に自分の腹に吐き出された彼の感覚の発露は何だというのか。
最中の彼の表情だって吐息だって、こちらが煽られるくらいに熱を帯びていた。…と思う。多分。

しかしそれが正しいとすれば、この腰に絡められた脚は一体何だというのだろう。
掘り起こした記憶から原因を探してはみるものの、自分では発見することもできず。
八方塞がりの状況の中、どうしていいかわからず弱りきってしまう。
下手なことをして本当に殺されては叶わないので、黙って英雄王の反応を待つことにした。

沈黙が流れる。
彼も自分も黙ったまま、時間が過ぎる。
両者共に行動を起こさなければ、もしかしてやっぱりずっとこのままなのだろうか。
そんな実にぞっとしない考えが過ぎる。
もう殺されるのを覚悟で何がいけなかったのか聞いてしまおうかと投げやりに思い始めたとき、
…解らぬか、雑種、と。
叱責を含んだ微かな声がした。

その言葉の内容を理解できず、目の前の相手を思わずまじまじと注視する。
まるで、今夜の終わりを引き延ばすよう要請するかのように、
咎めるようにこちらをひたと見据え、彼が微かにかぶりを振るのが見えた。
その僅かな、しかし確かな意思表示に。
今まで漠然としか捉えられなかった、最後、というのが、すとんと胸に落ちた。
――そうか。さいご、なんだ。
彼という存在は、明日以降、自分の前から、消える。
認識が実感となって、自分の中で澱のようにゆっくりと落ちるのを知覚する。

その途端。
鼻の奥が、つんとした。
欲情よりも本能よりもほかのどんなものよりも、こみ上げる何かが躯に湧き起こる。
その勢いのまま彼を掻き抱く。
闘いの中で幾度となく共にぼろぼろになった躯を、
重ねる中で幾度となく溺れる感覚を共有した躯を抱き締める。
反射的に身動ぎするも、それを抑えるかのように躯の力を抜く彼の肩に、己の額を押し付けた。

この躯を構成する、皮膚や肉や骨。
これらを全て邪魔だと思う。厭わしく思う。
こんな障壁などなくなってしまえばいい。自分の躯に呪詛を吐く。
もういっそ全部どろどろになって、彼と、融けてしまえたら。
衝動的に湧き上がる馬鹿げた想いに、痛い程に彼を抱き締める。
静まりかえった部屋に、出で来る嗚咽を必死で抑えこむ自分の声が響く。
鼓動の音といい息遣いといい肌を湿らす汗といい混じる体液といい、
いくら抱き締めても融け合うのは躯の外に出たものでしかない。
その事実に我慢ができず、彼を抱く腕に更に力を込めた。

突然、頭部に痛みがはしる。
幼い時分に誰かと取っ組み合いの喧嘩をしたときのような。
寝ている傍を通りかかった英雄王に踏んづけられたときのような。
遠慮も配慮もなしに、ぐい、と髪を引っ張られるその感覚に。
――折角こちらが感傷に浸っていたというのに、何でお前はいつもそう勝手なんだ。
そう怨嗟の籠もった声をあげるべく顔を上げようとしたその瞬間、
頭に何かが触れる感触がした。

姿勢と視界から推察するに、英雄王が、天辺に唇を落としたらしい。
そのために髪を引っ張り頭を寄せたのだと、遅まきながら理解する。
背に腕が回る。後頭部に手が添えられる。
それらの仕草に、息が止まった。

――ああ、こいつはいつだってこうだ。
いつだって他人のことを考えないで行動して、
それなのに他人の心をぐちゃぐちゃに掻き回す。
実際今だって、霧消したと思った感傷をあっという間に何倍にも増幅させられて、
脳の処理速度が追いつかなくて、先程開けた口から何の言葉を出せばいいのかもわからない。

暫しの逡巡の後、諦めた。
言葉なんて、無駄なものはいらない。
そんなものを弄している暇はない。
そんなものに思考を消費してはいられない。
ただ、いまは、ここに未だ在る彼を彼のまま知覚し欣求したい。
触れ方なんてわからないけど。それでも、どうしても、「彼」に触れたくて。
欲情とは別の次元で湧き来る想念に従い、その鎖骨に歯を立てた。


【2】

できるだけ、終わりは遠いほうがいい。
実に子供染みた発想だと自分でも思う。
こんなことを考えているのを知れば、彼はつまらぬ感傷だと一笑に付すだろう。
でも、そうだとしても、これが最後だから。
この夜が明けてしまえば、何もかもにけりがつく。
それがどのような結果になろうが、自分の前からは居なくなってしまうのだろうから。

だからせめてこの夜は繋がっていたい。出来うる限り、長く、近く、深く。
その想いに従って、細心の注意を払いながら、彼を求めた。
切羽詰まった吐息を返してくる箇所には再び触れないように努め、
彼の感覚を味わいながら、ゆっくりと、何かを確かめるかのように動く。
どこもかしこも触れたくて、何もかも欲しくて仕方がなくて、
全身で彼を知覚しようと、彼の中を求める一方で、闇雲に彼の構成の外側に触れる。

薄い胸を舐め、
敬を込め口づけ、
耳朶を無心に食み、
鼻梁に鼻を擦り付け、
額にはりついた髪を梳き、
項に手を宛がい首筋を甘噛みし、
二人の間に在る内腿に指を這わせ、
時折跳ねる躯を宥めるように背筋を撫で。

彼に触れる仕草の何もかもに、ただがむしゃらに愛しさを込める。
少しでも自分が伝わるように。
自分が彼の中に少しでも残ってくれるように。
彼の中に自身を埋めたまま、そんな不器用な告白にも似た行為を繰り返していると、
体温を上げていくその躯に、次第に不如意な反射が混じりだすのを感覚が伝えてきた。

汗が浮かぶ。
眉が顰められる。
びく、と躯が仰け反る。
吐く息に、は、と熱の籠もった声が混じる。
穿たれた箇所が、ひく、と時折いやらしく自身に纏わる。

突き立てられた彼の爪が、その度に背に喰い込む。
耐え切れない衝動が襲い来るのか、時折酷い痛覚が背に走った。
そこから、ぷつ、と音を立て、赫い玉が背に浮かんでいくのが判る。
もう明日からは貰うこともできないと思うと、
その傷ですら、その痛みですら、彼が自分に残してくれるものは何だって嬉しくて。

初めて彼と共にした夜に、腿に痛い程爪跡をつけられたことを思い出す。
翌日になってもなお痛みを伴い紅く残るその跡に、この馬鹿力、と少し苛立ったことも覚えている。
――たかが数日前のことだというのに。
現在とのあまりの落差に、苦笑が無意識に顔に浮かぶのがわかった。
ずっと覚えていられるように、もっと酷い跡をつけて欲しいとさえ思う自分がいる。
目にすれば生々しく思い出せるくらい、ずっと後まで深く残る傷がいい。
また次の夜を幸いにして自分が迎えられたとしても――そうでなかったとしても、
生きる限り彼のつけた跡を伴うという選択肢が、酷く魅力的なものに思えて仕方がない。

もっと欲しい。この躯に残して欲しい。更に深い傷を得たくて、彼に触れる。
思わず消えない傷をつけてしまうほどに彼が乱れた事実を示してくれる証左が欲しい。
自分の記憶の中だけでなく、彼が確かにここに存在したと物理的に示してくれる証左が欲しい。
限界を知らないかのように加速する愛しさに任せ、決定的な快楽を与えぬまま、彼に執拗に溺れた。

彼の紅眼が、次第に常のものとは違う光を帯びていく。
僅かに唇を開いて酸素を求めるその仕草が、浅く、早いものになっていく。
伏せた目元に朱を走らせ眉根を顰めたまま、だんだんその貌が、ぼう、としたものに変化していく。
際限なく与えられ続ける焦れた快楽に、彼を常に覆う力の入った表情が、僅かに、しかし確実に剥がれていく。
耐えられる臨界点を突破してしまったかのようなその様が、酷く愛しいものとして目に映った。

このままずっと続けて全部剥がしてしまえば、常に隠されている「彼」が見られるだろうか。
そんな他愛もない、ある意味嗜虐的な考えがちらりと頭を過ぎる。
そうしたらそれを自覚させてみたい。
自尊心がすさまじく高い英雄王様のことだ。
きっと、死ぬ程恥ずかしがって、狼狽えて、それから真っ赤な貌で激高するだろう。

そんな苦笑ものの戯れをぼんやりと頭に浮かべていると、だしぬけに言葉が耳に這入り込んできた。
微かに小さくではあるけれど、自分の名前が、確かに彼の口を吐いた。
一度呼んだが最後、譫言のように、ただひたすらにその一言だけを繰り返してくる。
そのままを望むのか、その次を急かすのかも解らないような、吐息混じりの熱に浮かされた声音で。
それひとつしか、言葉を知らないかのように。
それひとつで、何もかもがこちらに伝わると思っているかのように。

――もう、駄目だ。
ただでさえこちらは暴発しないよう抑えるだけで必死なのに。
いつもいつも雑種だの下郎だの好き勝手言いやがる癖に。
いつだって王様気質でどうしようもなく振り回しやがる癖に。
こんな時に、そんな声で、そんな貌で、そんな眼で呼ぶなんて。
反則以外の何物でもないだろう、ばか。

噛み付くように唇を繋ぐ。
自身をぎりぎりまで引き抜き、勢いに任せて先程から触れぬよう努めていた箇所を思い切り擦りあげた。
散々焦らされていた箇所をあからさまに責められ、彼が酷く露骨に反応を返してくる。
思わず漏れたらしい彼の嬌声が、繋いだ唇を介し喉に甘く響いた。
無意識に口から出てしまった自分の扇情的な声音を耳にして、
そこで初めて思っていたよりも遥かに余裕がなくなってしまっていることに気がついたのか、
圧し掛かる躯を暫し押し止めようとでもするかのように、狼狽した彼が抵抗する素振りを見せてくる。

――そんなのが大人しく聞ける程こちらに余裕があるとでも思っているのかな、おまえは。
当たり前のように制止を無視し、深く唇を重ねる。
互いの喘ぎが漏れる口内を探り、舌先を捉えて吸い上げた。
先程がっついてしまった時にどちらかの歯で切ってしまったのだろう、僅かに鉄の味がするそれを舐る。
最早息継ぎをするのさえもどかしかった。酸欠になりそうになりながら、彼を貪る。

先刻制止を求められた箇所に自分のものでぬめる先端を露骨にあからさまに強く押し付け、
己の体液を無理矢理彼の構成に塗り込めるかのように幾度となく執拗に擦りつける。
一度触れられただけで自律が効かなくなってしまった箇所を酷く直接的な圧力で続け様に擦られ、
思わず仰け反る彼の喉から悲鳴染みた声音を含んだ吐息が断続的に漏れた。
無意識に混じったらしい聞き慣れない響きが、耳朶にするりと流れ込んでくる。

その正体を、一瞬遅れて理解した。
遥かな時代の、異国の言葉。
己を最上とする程に自尊心の高いこいつの、人類最古の英雄王の、かのウルクの王の躯の中も頭の中も。
自分が言語の別すら忘れさせてしまう程に掻き交ぜたという事実に、昏い悦びがぞくりと背筋を這い廻る。

限界を突き抜けたとしか解らない、愛しさか独占欲かすら自分でも判別不可能な感情が躯を支配する。
浮きあがった背と床との隙間に腕を差し込み、離れかけた唇を追うようにして再度深く合わせた。
奥を穿つ度にその躯はびくびくと跳ね、繋がったところからは互いが混じり合った卑猥な音があがる。
至近距離で視線が絡む。
溺れた紅い瞳と交錯する。
泣きそうに歪んだ彼の眼いっぱいに、同様に切羽詰まった自分が映っているのが見えた。


【3】

もうどうしようもなかった。
余裕の欠片もなかった。
ただでさえ内から溢れて仕方がないのに。
彼の眼に貌に声に爪に汗に息に熱に、何もかもに満たされ注がれ与えられる。
彼に与えられたという事実に反応し、限界を知らないかのように己の内からまた湧き出てくる。

収めきれる許容量を超え、瞬く間に知覚できる許容量をも超える。
甘さを孕んだ息苦しさに襲われる。
それでも外から注がれる。内から溢れ出る。互いに反応する。
肺腑までいっぱいに満たされ、酸素が締め出される。
だというのになお止まらない。止まれない。むしろ加速する。

溺れる。
目の前の相手に溺れる。
注がれて溢れ出て、為す術もなく溺れる。

青い感覚に溺れる中、掴まるものはお互いひとつしかなくて。
汗を落とし快楽に喘ぎ体液を混じらせ、彼という収束した一点を求める。
動物、みたいな本能レベルでの交感。
それを交わしながらも、諦めに似た苦笑いが浮かぶ。
魂に触れたくて、でも触れられなくて。
躯を重ねることで、快感を共有することで、ひとは擬似的にそれを実現させようとするのだろう。
どんなに欲していたとしても、他人の魂に触れることは叶わない。

でも、互いにそれを希求したことは嘘ではないから。
彼が自分を欲してくれているのを痛い程に感じたから。
――それで、充分。
躯が限界を迎えようとしている中、ぼんやりと、そう己を納得させた。
互いに希求したと感じられること自体が既に僥倖であるのだと。
悔しくて寂しくてもどかしいけれど、別の個である以上、それは仕方がないことなのだと。

ならば躯はせめて。一番近くに。一番深くに。
脚を抱え直し、一際強く抱き締め、限界まで深く、深く繋げた。
それに押し出されたかのように、引き攣れた喘ぎと熱を帯びた吐息が彼から漏れ、自分の口腔を侵す。
連動して、新たに繋げた体積に押し出された白濁が、こぷ、と音をたて互いの間を埋めた。

更にその奥を欲し、限界まで埋めたまま、抉じ開けるように捻り更に穿つ。
無意識に自身を締め上げてしまっているところに無理な摩擦を加えられ、ぎち、と壁が引き攣るのを知覚する。
かは、という呼気と共に彼の躯が跳ね、反射的に自分から逃れようとするのが解った。
が、彼の意志がそれを押し留めたのか、熱を持ち汗で湿った肌が先程よりもむしろ汎く触れ合う。
彼が衝動を無理に抑え付けた代償として、息のあがる自分の背中に更に深く爪跡が刻まれる。
微細なその筋肉の収縮から、あがる一方の動悸から、言葉にはしない彼の感情が伝わってくるようで。
最も深くに己を残したいという欲のままに、先刻無理矢理に抉じ開けた上壁に先端を押しつける。

愛とか恋とか好きだとか、そういう言葉では伝えきれないと解っていた。
それでもこの感情を伝えたくて、荒い息と共に、唇の交接を微かに解く。
上唇だけを僅かに触れ合わせたまま、何もかもを込め、ただ一言を同時に口にした。
目の前に在る互いの名を。
それが、引鉄。
限界まで引き絞られた自分が一気に収束し、堰を切った如くに溢れ彼の奥深くを埋め尽くす。
きつく抱き竦められた所為で身動きの効かない躯が、自分の下で快楽に巻き込まれ藻掻き跳ねる。

声にならない彼の叫びが、心地よく耳朶に響く。
至近で感じる彼の匂いが、切なく鼻腔を満たす。
朱に染まった彼の表情が、痛い程に網膜を焼く。
鉄の味がする彼の血液が、甘く蕩け口腔を侵す。
背中に付いた彼の爪跡が、悦ばしい痛みを残す。

五感が悉く彼に支配され染め上げられる。
ぞわりとした感覚を伴い、己の構成がそれに呼応する。
躯の奥深くから、強引に何かが引き摺り出されるのを知覚した。
かちりと産声の如くに音を立て、その存在が自分の意識に嵌まる。
あまりにもぴたりと。まるで、本来そこに収まるべきものであったかのように。
そこで漸く、腑に落ちた。

「――――あ」

一緒に居たいと、希った。
痛みも傷も、残して欲しいと思った。
無理を承知で全て欲しいと、触れたいと足掻いた。
彼という一点に収束したこれらの想いは、己のために彼を求めた故の産物であると。
紛れもなく自分自身のエゴから表出したものだということに、今更、気付いた。

それを自覚したこの瞬間に、長い間眠らせ錆付かせていた感覚が覚醒する。
自身の幸福を咎と定め、罪悪感から押し殺してきた感覚。
抱くことすら罪であると、忌避してきた感覚。
禁忌ともいうべきそれを喚起され、ぎちぎちと、ひとり救われた過去を記憶した躯がざわめきだす。
脳が反射的に拒否反応を起こす。呼吸器が引き攣る。神経が激痛を訴える。

だが、今なら解る。
自信を持って言える。
いくら己のためだとしても。
自己満足にすぎないとしても。
収束した一点に焦がれ灼かれて希求するこの感情が――悪であろう筈もない。

その想いのままに、馬鹿げたそれらを捩じ伏せる。
自分と同じ欠落者を尊び希求することが人倫に外れていないと確信した以上、
欠落の過去を孕む存在だとしても、己もまた、尊ぶことのできる対象であることに漸く思い至り。

己が根底を為す心象風景が僅かに変化する。
無数の剣が構成する荒涼とした風景の中、一条の光が視界を灼いた。
鮮烈な苛烈な強烈な峻烈な壮烈な酷烈な。
今までの己の世界にあったそれとは明らかに異なる輝きを持つ、真正の色。
眼を見開き頭上を振り仰ぎ、唐突に捩り込まれた金の筋を呆然と凝視する。

――この空は、殻だ。
漸く気がついた。
己を覆う機構。自分と外界とを遮断する境界。
過去に囚われ過去に基づき過去を絶対視したが故に、
縛りを与え固定化させた己の未来を具現するべく手探りで創りあげた己が風景。
セイギノミカタへと続く未来の可能性を純化し堅持させる作用を持つ、殻。

その天蓋がこの瞬間、壊されようとしている。
無理矢理な力で、殻が割られようとしている。
それに呼応して、外界と繋がろうとしている。
――すべては、己が根底に灼きついた金を媒介に。
光の筋が増えていく。維持しきれなくなっていく様子が見て取れる。
己を覆う機能を失い、ばらばらと個に砕けてゆく。

致命的な程に光に蝕まれ、己と外とを隔てる殻が完全に瓦解した瞬間を視認する。
途端、幾何級数的に拡がる輝きが茫漠とした己の風景に押し寄せた。
あまりの眩さに眼がくらむ。
反射を捩じ伏せ眼を凝らす。
──生まれる。
視界が急激に開ける幻視の中、そんな直感が自分を襲った。

大地が光の奔流に埋め尽くされる。
昼を殺し夜を生む、夕刻を染め上げる色。
いつかの夢で視た、英雄王が踏みしめた荒野を燦然と照らす色。
赫い光景も、黒い太陽も、自分の記憶に未だ厳然と存在する。忘却は、してはならない。
ただ、それらを含めた全てが、泣きそうに懐かしい太古の空の色に受容されていく。
死滅と回帰と再生の色に、相対化されてゆく。

「衛宮士郎」は。
十年の歳月を越え、漸くその本来のかたちを取り戻した。

――時間の感覚を、暫しの間失っていた。
呆けて映っているであろう顔に、彼の指が滑るのを知覚し我に返る。
両度の誕生に伴う喪失と歓喜に、躯が知らず反応していたらしい。
涙腺が壊れていた。
勝手に喉が引き攣れる。
至近距離に在る筈の貌が、滲んでよく視えない。
しかしそれでも、彼がどのような表情をしているかは容易に想像できた。

絶対視した過去に囚われていた自分を引き摺り出して。

緊張が融け、ゆったりと揺蕩う弛緩した空気の中で。
ぼろぼろと上から落ちてくる涙を拭おうともせず、
相手の頬を両の手で包み込んでその顔を見上げ。

躯ではなく精神に、生涯消えることのない変容という痕を残して。

稚い感情から泣きじゃくる子供をあやすかのように、
擬い物を必要としなくなった贋作者を是とするかのように、
自身が荒野で枯らした涙を取り戻せた相手を羨むかのように、
世界に収奪される未来への線を断った欠落者を祝福するかのように、
全てを手中に収めてきた自分に初めて別離を決意させた相手を愛しむかのように。

人類最古の英雄王は目を眇め、苦笑気味に、深く柔らかい息をひとつ吐いた。





















異なった過程で己を否定した欠落者同士であるところに士金を見出した私の一生懸命です。
異なっているからこそ、同じ性質の中でその差異が際立つのは最高だと思います。

士郎さんは、何もかもを自分のエゴで所有してきた英雄王が、はじめて相手のことを考えて一緒に居ることを諦めた人であってほしいと思います。
エンキドゥの時みたいに、セイバーに望むみたいに一緒に連れていきたいけど、それだと士郎さんは欠落したままで、絶対後々辛くなることがわかっているから。
士郎さんのために、また孤独な自己に戻ることを選べばいいと思います。
孤独の因であるその強さをもって、欠落を内包したまま、その上でなお颯爽と荒野を歩んで欲しいです。
だから、諦観を含んだ苦笑でこれが最後と寂しく受容して欲しいです。乙女は夢見てなんぼです(…)

あと私 固有結界は内弁慶ぶっちゃけひきこもりワークスだと思ってますからぁー!
…すみませんすみませんorz でも本気!

隠れテーマは「えろを手段としたピュア」でした。これが私がピュアを主張する文脈です(笑)



…実はさらに長くうざい士金語りがあるです(読んでやらぁという猛者の方はこちらへ)